なんか書く

個人的に有益/無益だと思う情報をメモしていくブログ

旅に行こう、つづき

お店を出た後は、町をぶらぶら散歩した。昼になって、観光客も地元の人も活動していて少し活気が出てきていた。

町自体は、ジーンズや帽子、衣料品関係のお店が有名らしく、お洒落な雰囲気が漂っていたが、そういうものには疎いため時間の使い道に困っていた。そこでしょうがなく美術館に行った。元来、絵は好きではないけれど静かな場所は好きだ。

美術館は静かだろうと思って入ったが、その通り静かな場所であった。そのため、つい長居したが、絵については綺麗だと思う以上の感想は持てなかった。やっぱり感受性は豊かではないのだろう。ただ、これ以降なんとはなしに西洋画のほうが好きになった。

そこから夜までは、やっぱり町をうろついたが、どこに行くでもなくうろついた。冬だから日が暮れるのも早く、暗くなる手前で夕飯を食いにこうと思った。行った場所は、朝の喫茶店で教えて貰ったおばんざいを出す居酒屋。そこであまり好きでもない酒を適当に飲んでたら、なにをどう間違えてしまったのか隣の夫婦と話していた。旦那さんは地元の社長らしく、豪快、かつ細やかな部分も持つ人だった。そんな人から就活前の自分にアドバイスを貰い、さらに別の店へ連れて行ってくれワインを奢ってもらった。

岡山で知らない人と出会い面白く、こんな旅行ならもっと続けたいと思っていた。結局、一泊二日の予定を延ばして四泊五日まで続けてた。

 

誰に決められるでもなく、自分が居たい時間までいた、旅に近い時間だった。

旅に行こう

旅行に行こうって言葉を書くたびに、”行”って言葉が重複してるなって思うけど、これって正しい用法なんだろうか。一々正しい用法なのか気にしてる人もいないと思うけど、神経質な僕は気にしてしまう。じゃあ旅に行こうって言えばいいのかもしれないけど、どっか行くにしても旅と呼べるほどの行為はしていない気がする。

旅っていう言葉は旅行って言葉よりも自力でしている感じがある。向かった先で現地の人と変わらない生活をして溶け込むような意味。でも、それだけだと旅じゃなくて移住になる。そう考えるとやっぱり期間が重要になるのかも知れない。

短い期間で去る前提を持ちながらどこかに行くことは旅なんだろうか。でもそれは旅行と同じだ。そんなことを書いてたら思いついたけれども、帰ってくるまでの期間が不明瞭、でも帰ってくる前提を持って何処かへ行けば旅っぽい気がする。

 

今まで行った旅行の中では、岡山と広島に行ったのが旅に近かったと思う。大学院1年のときで就活前に行ったのを覚えているから、2017年1月とかだろうか。

東京駅八重洲口あたりから出ている深夜バスを使って一気に岡山の倉敷まで行った。途中の記憶はあまりないから、普通の夜行バスだろう。酔っぱらったサラリーマンがいたのだけ覚えている。そういえば、出発前に八重洲地下街神戸屋のパン食べてたら、酔っぱらったOLに抱き着かれたことも急に思い出した。出だしから面食らった。

倉敷駅には朝6時頃とかに着いた。宿も決めずに行った旅行だったから、背負ったリュックを置く場所もなく町を歩いて時間を潰していた。朝早いおかげで美観地区には誰もいなかったから綺麗な街並みを見ていたが、深夜バスの疲れが残り腹も減っていた。

そうこうしてると、一軒のカフェみたいなお店が開く時間になっていた。扉から中が見えないから恐る恐るだったけど、若い女性一人でやっている落ち着いた雰囲気のお店だった。そこでスープとパンのセットを頼んで食べてたら、やっぱり不審だったようで旅行の人かを尋ねられた。それで就活前で旅行しているようなことを言ったら、店主さんが病院で勤めてた話とかカフェを開いた経緯を聞いた。やっぱり就職したけどやりたいことをやりたかった、そんな内容だったと思う。

朝っぱらそんな人生相談をした後、おすすめのお店なんかも聞いてお店を出た。

自分の意見

自分は理系だから研究をしてる。

そうすると、自分の考察を書かなきゃいけない。けど、難しい。

それは研究だからと思っていたけど、どうも思い違いっぽい。

あんまり自分の考えがないみたいだ。

昔読んだ本で立川談志金原亭馬の助に対して「映画の知識はあるけど分析が何もない」みたいなことを言っていた。

当時はよく分からなかったけど、多分、自分は馬さんの状況に近いと思う。

考えてみると、今まで疑問に思ったことは本で調べたりネットで検索してる。そして答えを見つけて覚えてきた。つまり、答えは他所から探してきた。

だから、答えを考えることが苦手になってる。

せめて大学院を卒業するまでに、自分の意見とかを持てるようになれたらな、と思う。